フィクションにふれると希望がチャージ出来ると思っている

ちょっと最近、忙しすぎて

ロクにマンガを読む時間もないレベルで動いていました。

そして少し落ち着いたので

こうして日記を書いています。

マンガとかアニメとか、

生きていくのに必須じゃないものって、

心を磨くために実は必要だよなあーなんて思います。

結局、

生きるのに「希望」が必要で、

フィクションにふれると、

希望がチャージ出来ると思うんです。

理想を組み込むから名作になる

マンガやアニメで登場するキャラクターって、

理想を組み込んでるからこそあんなに魅力あると思います。

名セリフがバシバシ生まれたり。

それは人が「ああなりたい」「こうなりたい」っていうのの投影というか。

現実は大体の人間にとってせちがらいと感じるはず。

ときには逃避の意味もあっていいですもんね。

現実って息苦しいですから。

ストーリーを作ってもなぞるのがめんどくさいのが現実

自分がめちゃくちゃ活躍するストーリーを思い描いたとして、

それの通りに行動するのってめっちゃ大変ですよね。

筋道を立てて、進んでいく。

わかりやすいのは受験勉強とかね。

合格してウハウハライフを夢見るわけですが、

勉強の日々はキツイものです。

そして実社会に出たら、

目標(ゴール)と筋道(プロセス)を両方自分で考えないといけない。

これはある種、苦しいですよ。

実践するのはさらにハードルが上がる。

だからこそ、アイドルとか推しという感情も芽生えるんだと思います。

意地悪な言い方をすれば、がんばるのは自分じゃないから。

とはいえ、がんばってる人を見て「自分もがんばろう」って思えるのもまたパワーになりますけどね。

ぼくはよくばりなので理想も現実も抱えていたい

まあぼくはよくばりなので、

キラキラな理想も、苦しい現実もどっちもほしいんですよ。

誰かをかばって「なにも…なかっだ!!」とか言いたいし、

今日の挑戦で明日をもっとラクにしてやりたいし。

だからこそ、最近バタバタ自ら忙しくして現実が苦しかろうが自分で進んでやろうってしているわけです。

そのために、マンガのキャラクターとかへのあこがれをずっと持っていたいなーと

思うわけです。

いつか、血のにじむような努力のはてに

「おせぇ…」とか「ぼく最強だから」とか

チート級なキラキラな現実を叶えてやりたいと思います。

…ワンピースは空島で一回飽きちゃったけど。呪術廻戦はとっておいてて未読だけど。

見たい作品があって、未読にしているっていうのは

自分へのご褒美を取っておきながら生きているわけです。

それだけでも、苦しい現実を生ききってやろうっていう希望になります。

だってそれ消化する楽しみが待ってるわけですからね。

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